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言語と歴史に関するanimistのブックマーク (7)

  • 私の母語について|下地理則(九州大学人文科学研究院 教授)

    私はフィールド言語学者である。消滅の危機に瀕した少数言語を対象に、現地調査を行いながらその言語の全体像を記述・分析・記録保存していくことを専門にしている。特に専門にしているのは琉球諸語、その中でも宮古語の、さらにその中でも伊良部島の言葉であり、2008年に博士論文として総合的記述文法を完成させ、2018年にその和訳・改訂版を出版した。 伊良部島方言は私の母語ではなく、父方の親族の言語である。私は伊良部島方言の話者である父、沖縄語(島中南部の)の話者である母の間に生まれた。これらの言語はお互いの意思疎通ができないほど言語差があるため、家庭では地域共通語(後述するウチナーヤマトグチ)が使われていた。地域共通語が使われていた理由はそれだけでない。私の父母の時代には標準語励行の名の下に、伝統的な地域言語を家庭からも、教育現場からも一掃する取り組みが行われていた(詳しい経緯は私のnote別記事を見

    私の母語について|下地理則(九州大学人文科学研究院 教授)
  • ヘボン式

    インターネットで 公開 されて いる ローマ字の 解説には いいかげんな ものが おおく,ほとんど あてに なりません.英語教育に かかわる 分野では とくに それが ひどいので,権威ある 大学の 名前を かかげて いても,その 解説や そこで 推奨 されて いる かきかたを 参考に なさらない よう おすすめ します. ヘボン式 HEBONSIKI あらまし Aramasi ヘボン式は アメリカ人の 宣教師 ジェームス カーティス ヘボン(James Curtis Hepburn)が つくった 辞典「和英語林集成」で つかわれた かきかたを もとに して つくられた 方式です.明治時代に ローマ字を ひろめる 運動を して いた「羅馬字会」と いう 団体が「和英語林集成」の かきかたに すこし 手を くわえて つくった 方式が 日人の あいだに ひろまって いき,それが ヘボン式と よ

    ヘボン式
  • 1世紀かけても終わらない ラテン語辞典づくりに生涯をかける人たち:朝日新聞GLOBE+

    ラテン語辞典TLLの資料庫と編集責任者のミヒャエル・ヒッレン=2019年11月22日、ドイツ・バイエルン州の州都ミュンヘンにあるバイエルン科学アカデミー、Gordon Welters/©2019 The New York Times

    1世紀かけても終わらない ラテン語辞典づくりに生涯をかける人たち:朝日新聞GLOBE+
  • イギリスの体重の単位「ストーン」に迫る

    1986年東京生まれ。ベルリン在住のイラストレーター兼日英翻訳者。サウジアラビアに住んでいたことがある。好きなものは米と言語。 前の記事:DHLには社員しか買えないオリジナルぬいぐるみがある > 個人サイト words and pictures ストーンと言う単位 アメリカやイギリスでは、メートルやグラムではなく、ヤードやポンドなどという単位が使われていることは、よく知られている。 これは「ヤード・ポンド法」と呼ばれる単位系なのだが、私のようにメートル法で育ってきた日人にとってはなんとも分かりづらく、イギリスに長年住んでいる人もなかなか慣れないそうだ。 私の住むドイツも日と同じくメートル法なので、ヤードやポンドとは無縁な生活を送っていたのだが、つい数年前、今まで聞いたことのなかった単位の存在を知った。 「ストーン」という単位だ。 ストーンは大きい石、それとも小さい石? それは、イギリス

    イギリスの体重の単位「ストーン」に迫る
  • 俗ラテン語 - Wikipedia

    ポンペイに残された選挙の落書き。民衆の話し言葉、俗ラテン語で書かれており貴重な資料である。 俗ラテン語(ぞくラテンご、羅: sermo vulgaris セルモー・ウルガーリス、英: Vulgar Latin)は、ローマ帝国内で話されていた口語ラテン語で、ロマンス語の祖語となる言語。 ローマ帝国の崩壊後、地方ごとに分化し現在のロマンス諸語になった。 古代ローマから現代にかけて使用されてきたラテン語は基的に文献に残る文語ラテン語(古典ラテン語)のことである。 これに対し口語、つまり民衆の話し言葉があったことが文献に残されており、これを俗ラテン語という。 ただし、「俗」を意味するvulgarという言葉には「下品な」、「粗野な」、「卑しい」などの意味があるため、「民衆ラテン語」(Popular Latin)、「ロマンス祖語」(Proto-Romance)などの用語を主張する学者も多い[1]。

    俗ラテン語 - Wikipedia
  • 申年がしん - Wikipedia

    申年がしん(さるどしがしん)は、鳥取藩における天保の大飢饉の呼称。その悲惨さは近年まで恐怖の伝説として語り継がれていた。「がしん」とは、各地の方言で「餓死」が転訛した飢饉を表す言葉[1]で、鳥取藩内における飢饉がいよいよ格化した1836年(天保7年)が申年であったことから、この名で呼ばれた。 1831年(天保2年)に東北地方から始まった天保の大飢饉は、のち全国に及び、その窮状は悲惨を極めた。鳥取藩でも例外ではなかった。 1831年(天保2年) 鳥取藩領へ、隣国の但馬・播磨・美作から飢えに耐えかねた人々が多く入り始める。藩内の町や村にも、行き倒れや捨て子が数多く見られるようになる。 1833年(天保4年) 邑美郡岩坪・気多郡母木(ほうぎ)・気多郡青谷・同郡姫路・岩井郡湯村で相次いで大火が発生し、村人の大半が焼け出される。 12月5日、不作のため鳥取藩が在中に2歩の御救米を施す。 1834年

  • てんぽな - Wikipedia

    てんぽなまたはてんぽとは、大変な、とんでもない、とてつもない、途方もないなどの意味を表す日語の形容動詞・形容詞である。共通語ではないものの、特定の限られた地域のみの俚言ではなく、日の広い範囲の方言で用いられる。 「てんぽな」と「てんぽ」は下記の地域で記録されている。強調した形の「てんぽな」は「てんぽ」に詠嘆の終助詞「な」を伴ったものと考えてよく[要出典]、地域にかかわらず両者の意味するところはほぼ同じと見てよい。大まかにいえば、東北地方や日海側から近畿地方、さらに南下して四国地方とその瀬戸内側までの広い地域にわたる。全国的な分布であると同時に、関東地方・東海地方・九州地方ではほとんど使われないなど、地域の不連続性も見られる。 都があった近畿地方から北と西に広がったと推測されるものの、その伝播の歴史は明らかではない。江戸時代、天保年間に暴風雨災害により米価の高騰などが起った天保の大飢饉

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