21世紀の道徳 作者:ベンジャミン・クリッツァー晶文社Amazon著者のベンジャミン・クリッツァー氏(id:DavitRice)の論考については以前もこのブログで何度か取り上げたことがあります。 amamako.hateblo.jp amamako.hateblo.jp amamako.hateblo.jp 上記の記事を読めば分かるとおり、僕はクリッツァー氏の豊富な知識量についてはすごいと思っているんですが、そこから示される、社会問題や学問観・人生論にはどうしても同意できないところがあります。ただ、なんでそこで同意できないかはいまいちよく分からなかったんですね。 それは、この本を読んでも正直あまり変わらなかったんですが、ただこうやってまとまった形で論考を読むことによって、そもそもクリッツァー氏と僕には、根本的な考え方の違いがあるんだなと思うようになりました。 学問は「唯一無二の正解」を示す
91年生まれ大反省会というツイートが炎上している。91年生まれは何も考えてこなかった(社会運動は危険、フェミニズムはヒステリー)から反省して毒を出していこうといった旨の発言。主語がでかいというのもあるし、社会運動やフェミニズムを見直すことでリベラルに合流しようとも読める点で批判されている。 91年生まれ大反省会をしたい。わたしは91年生まれで今年30になる。若者と括られてきたけど、明らかに今の世代と全く育ってきた景色が違うことを感じる。政治家と言えば小泉首相、まだ日本は経済的にすごいと習ったし、嫌韓本が本屋に並び、ネットは2chにニコニコ、メディアは「オネエ」を笑っていた。 — 永井玲衣 (@nagainagainagai) 2021年7月5日 当時K-POPを色んな人が恐れていたのを覚えている。学問といえば受験勉強、フェミニズムはヒステリー、社会運動は危険、資本主義は疑えないもの。数え切
真実の終わり 作者:ミチコ・カクタニ 発売日: 2019/06/05 メディア: 単行本 ようやく『真実の終わり』が図書館で借りれるようになったので、パラパラと読んでみた。内容としては大したことがなくて、HONZの書評にまとめられている以上のものはほとんど得られない。要するに、ポストモダニズム的な相対主義のためにフェイクニュースや知識に対する軽視がまかり通ってドナルド・トランプのような人間が大統領に選出されてしまった、というアメリカの現状を嘆く本だ。 「ポストモダンの右傾化」という問題はミチコ・カクタニ以外の論者もよく指摘するものではある。このブログでも、フーコーとかデリダとかを批判しながら「ポストモダニズムが民主主義を毀損して右翼の増長を許したんだ」と主張する記事を紹介したことがある*1。 それとは別に、読んでいてわたしが思い出したのがジョセフ・ヒースの「『批判的』研究の問題」というエッ
このブログではめずらしく個人的な思い出話。 91年生まれ大反省会をしたい。わたしは91年生まれで今年30になる。若者と括られてきたけど、明らかに今の世代と全く育ってきた景色が違うことを感じる。政治家と言えば小泉首相、まだ日本は経済的にすごいと習ったし、嫌韓本が本屋に並び、ネットは2chにニコニコ、メディアは「オネエ」を笑っていた。 — 永井玲衣 (@nagainagainagai) 2021年7月5日 当時K-POPを色んな人が恐れていたのを覚えている。学問といえば受験勉強、フェミニズムはヒステリー、社会運動は危険、資本主義は疑えないもの。数え切れないイメージが潜在的に内面化されているはず。ここをしっかり毒出しして反省しないと、これからの世代を抑圧してしまう。ここが分水嶺だと思う。 — 永井玲衣 (@nagainagainagai) 2021年7月5日 ↑ Twitterでこういう投稿をみ
SNSでは日々、ジェンダーにまつわるトピックが取り沙汰されている。反面、それらのトピックに対する判断材料や指針となる知識や教養が十分に広まっているとは言い難い。 個人のレベルでこういった状況がある以上、企業・組織としてもジェンダーにまつわる種々のアップデートが停滞を余儀なくされうる。迷えるリーダーたちはいかにして現在地を見定めて、最初の一歩を踏み出していくべきなのか。 そのヒントを探るべく、ジェンダーをはじめとしたソーシャルイシューについて執筆するライターのヒラギノ游ゴ氏にインタビューをおこなった。 ヒラギノ游ゴ:ライター 音楽 ジェンダー論 ポップカルチャー批評 平成の遺物収集 Twitterアカウント / https://twitter.com/1001second ジェンダーに理論として向き合うこと- 今日は、ジェンダーやフェミニズムにまつわる課題とどう向き合っていけばいいか、ヒント
昨年の春、私は新著刊行を機に、販売促進のため遅ればせながらTwitterを開設した。ユーザー歴は1年ほどである。そのため使用方法や、SNS空間特有の作法を十分にわきまえておらず、いつか「炎上」を引き起こしてしまうのではないかと内心怯えながら、日々の徒然を呟きはじめたのである。 そして暮れも押し迫った2019年12月17日、ついにその日が訪れてしまった。事の発端は、以下の私のツイートである。 “以前担当した「民俗学」の講義で、受講生から「いつになったら妖怪が出て来るんですか?」と言われて絶句しました。「シラバス読んだでしょ?」と答えるしかありませんでしたが、民俗学へのイメージに「妖怪」と「夜這い」を代表させた言説を検証したい。僕にとって、かかる先入観は「風評被害」です。” 以前担当した「民俗学」の講義で、受講生から「いつになったら妖怪が出て来るんですか?」と言われて絶句しました。「シラバス読
追記(2018/02/02) 「琉球(諸)語」について簡単な補足を書きました。 「日琉語族」を考える場合「琉球語」は複数ある—「琉球諸語」の話 - 誰がログ はじめに 先日のセンター試験の地理に出たムーミンに関する問題は大きく話題になって,大阪大学大学院言語文化研究科スウェーデン語研究室から声明が出されるような事態にまでなりましたが, 大阪大学外国語学部スウェーデン語専攻 ついったー上などでこの話題についてやりとりする時に「アルタイ語族」という名前がそこそこ出てきたのが言語学の研究者としては気になりましたので,この名称が現在も高校地理の関係書籍で使用されているのか少し調べてみました。とりあえずここでは調べたことのメモだけ書いておきます。 ちなみに,上記の阪大のページと合わせて下記の記事もおすすめしておきます。 大阪大学外国語学部スウェーデン語専攻「平成30年度大学入試センター試験 地理歴史
二次創作小説を研究目的で引用することは研究倫理に反するか http://anond.hatelabo.jp/20170525145352 どちらかというと大学側に同情している情報系の院生なので,以下の内容はそのようなバイアスがかかっていると思われます. 論文自体について個人的な感覚では「インターネット上に公開したものは分析・批評の対象となる可能性がある」と思っているので,この点について著者を責めるのは難しいと感じます. オタク的に言えば、「任意の作品は,2次創作の対象となる可能性がある」程度の感覚です.ここで大声を上げすぎるとブーメランにならないのかとヒヤヒヤします. 公開した論文は必ず批評・文献の対象となる可能性があり,それに際してわざわざ許諾を取る必要はなく,必要があってはならないと言う文化が存在するのもその一助となっているのではないでしょうか. 一方で,論文の趣旨に対し,「対象の作品
ある意味、一昔前にあった「研究者は異民族の神聖な儀式を見てもいいか」問題の現代版なのかも。 ほらあるじゃん、余所者には見せられないと言われてる神聖な儀式だけど、研究のためにどうしても見たい……! みたいな。 たぶん今の人類学では、外の人間が、異文化の人が大事にしてる儀式にズカズカ入っていっちゃ駄目ですよ、ということになってるんだと思う。 ただ厄介なのは、その異文化の神聖な儀式、昔は山奥とか孤島とかでやってたんだけど、今ワールドワイドウェブで全世界から見れるんだよね。 おたくとか腐女子とかの文化、本人たちにとってはすごい大事なもので、外から踏み込んできてほしくないし、自分たちの文化の尊厳を尊重してほしいと思ってるし、ついでに言うと昔偏見にさらされてきたという過去もある。だからすごいセンシティブな存在、ああ見えても。 でもそれ、外からはよくわからないんですよね。 外部から見たら、そりゃウェブで
●筆者は何者か 人工知能という広大な研究領域の一角で、ヒューマンエージェントインタラクション(HAI)という研究分野を行っている研究者の一人です。HAIを簡単に述べますと、人と、人に見えるような「エージェント(ロボットや、仮想エージェント)」との相互作用を扱う学問です(実際はそれに限りませんが)。 その意味で、今回の表紙の件については、非常に興味を持って見守っています。 今回の件について様々な意見が出ていますが、会員の意見はあまり表に出てきていません。その結果、いくつか事実と異なる点が議論されていたり、曖昧になってしまっていたりする点があります。会員として気になる点もあるので、現状で知っていることを述べることにしました。 ただし、私は今回の会誌の編集に関わったわけでもありませんし、人工知能学会を代表する立場でもありません。わかっていないことも多いです。あくまで、一会員の意見として考慮頂けま
お金持ちしか研究者になれない時代に逆戻りかなぁ、と思う。末は博士か大臣か、なんていわれていたけれど、賢ければだれでもなれるものでは昔は決してなかった。研究者になりたいなら、お金持ちの娘さんと結婚しなさい、なんて冗談があったし、実際お金がないと研究を続けるのは困難だ。国立大学の授業料は昔から上がっていく一方だし、今では大学が行っている免除とかも独立法人になってからなかなか厳しい扱いになってしまった。院生になると、学振など支援してくれるところはあるし、アルバイトをすればちゃんとまかなえるのだろうけれど、一方で欧米の大学院生はTA(ティーチングアシスタント、主に大学の授業のアシスタントをする)の給料だけで十分生活ができ、仕送りも必要がなくなってしまっている(つまりちゃんと自立ができる)。研究に関係のないアルバイトに時間を割く日本の院生が欧米の院生よりも研究にのめりこむことができていないのは明らか
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