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風間俊介:バーチャルボーイもドリームキャストも時代が早すぎた 宮沢章夫:僕も「信長の野望」やってまして、いとうせいこうに電話したんですよ。いとうは九州に戻ってまして、家族が「今いないんです」自力でやろうとしたら、夜中2時にFAXが届きまして「民に施しを与える」(笑) Primal Scream / Loaded (1990) Primal Scream - Loaded (From "Screamadelica Live") - YouTube 完全自殺マニュアル(1993) むむ?紹介するのは自由だが自殺を勧めてるのかEテレ。「一瞬ののけぞるような痛み」「樹海」とか。そんなのアリかよ。 99年、東京都は有害図書指定を見送った。 閉塞してどん詰まりの世の中に風穴を開けて、風通しを良くして、ちょっとは生きやすくしよう、ってのが本当の狙いだ。 鶴見済「完全自殺マニュアル」より この頃のことは少
千葉県の銚子市という関東最東端に観音町という歓楽街がありまして、東京でいうと浅草がいちばん近いと思うんですが、観音寺を中心に浅草の周りに新宿と赤坂がくっついているような、地方都市だと必ずありますよね、ギュッギュッと寄せたような町が。浅草より狭いパノラマ歓楽街みたいなところがありまして、そこのど真ん中で生まれました。1963年なので、東京オリンピックの前年でありキューバ危機の翌年です。ビートルズがデビューした辺りの年ですね。当時の日本の音楽状況っていうのは演歌かムード歌謡。今でいう昭和歌謡と呼ばれているものの黄金期で、カラオケがないかわりにジュークボックスが山程ありました。 ふつうの学童が幼稚園、小学校を通じて遊びに行くのは、児童公園とか近所の友だちの家というところだと思うんですが、僕は歓楽街に家があるもんですから遊び場は観音寺とか神社。その裏でイタズラされたりとか甘酸っぱい思い出があったり
■宇野常寛「ゼロ年代の想像力」は、雑誌『SFマガジン』7月号から始まった連載で、現在9月号までに第3回までが載っている。宇野はこの評論にて、「90年代の古い想像力を振り払い、ゼロ年代という今の想像力を見きわめ、その上でそれを乗り越える次の10年代の想像力を提示する」というようなことを目的としている。 はじめに、この連載の目的を簡単に説明しておく。まずは九〇年代の亡霊を祓い、ゾンビたちを速やかに退場させること。次にゼロ年代の「いま」と正しく向き合うこと。そして来るべき一〇年代の想像力のあり方を考えることである。『SFマガジン』7月号92ページ■宇野はこの「90年代の古い想像力」として、引きこもりの思想と呼ばれるものを挙げている。 この「古い想像力」を端的に言い表すならばそれは「引きこもり」の思想となる。その端的な例としては、一九九五年から九六年に放映され、メガヒットを記録したアニメ『新世紀エ
Cinra Magazin を見ていたら、mixi の「90年代サブカルチャーの総括」というコミュニティが紹介されていました。90年代ノットデッド派の私は早速読んでみたのですが、その中に音楽についてのトピックもあり、ミッシェル・ガン・エレファントはサブカル的ではない気がするという発言がありました。 これは90年代後半から00年代の日本のロックの変遷を理解する上で、結構重要なポイントではないかと思うので、この問題についての私見を書いてみようと思います。 先ず最初に、サブカル的とはどんなものかを確認しておく必要があるかと思います。サブカルチャーとは元々メインカルチャーに対するマイノリティーの文化を指したようですが、日本では用語の使い方が大分代わっています。Wikipedia のサブカルチャーの項を見ると、以下のような記述があります。 1980年代に入ると、ニュー・アカデミズムが流行し、専門家以
彼女より年長の男たちがこぞって彼女を自分たちの手前勝手な「80年代」に幽閉しようとしていることが、腹立たしくてならない。 (引用者注:太字は引用者による) もちろん、大塚英志や宮沢章夫を批判すること自体は自由だ。 しかし、こういう書き方をされると、大塚英志や宮沢章夫以外の「彼女より年長の男たち」まで「こぞって」同じことをしていると言っているように聞こえてしまうので、抗議しておきたい。 自分も、「彼女より年長の男たち」の一人ではあるが、「彼女を自分たちの手前勝手な「80年代」に幽閉しようとしている」つもりはない。 むしろ 岡崎京子の「90年代」との格闘を引きつごうとする作家がいないことが私には残念だ という気持ちにおいては、【海難記】の筆者と全く変わらるところがない。 だからこそ、岡崎京子のファンサイトを立ち上げたのであり、80年代の終りと90年代の始まりを告げる(と自分が信じる)「リバーズ
1963年12月13日東京都出身。 80年代はじめ跡見学園短期大学在学中にマンガ家デビュー。 退屈で、シビアな資本主義社会の中で、たくましく生きる、自立した自我を持つ女の子の「ラブ&(アン)ハッピー」を描き、注目を集める。 しかし、作品を重ねるに連れ、作品の主題は、「性と暴力と死」に染まってゆき、近作では、もはや、誰も到達できない絶嶺に到達していた。その先に何が描かれようとしていたのか? 現在、諸事情あって、休筆中。復活を祈る。 エイリアン ■短編著作の蓄積で研かれたテクニックが、ようやく岡崎京子の才能をフルに発揮させた傑作短編。それまでの短編ももちろん魅力的だが、この「エイリアン」の作品としての強度は只事じゃない。 わかりやすくて深い見事なモノローグにより丁寧に描かれる日常は説得力があるし、物語りのキーである、めちゃくちゃかわいい造型の宇宙人の立場と、主人公の女の子の家での立場のリンクの
このインタビューは、『AERA』2000年10月23日号掲載の「オタクの消滅」という記事上で語り尽くせなかったことを宮台氏に思う存分語っていただくという趣旨で、2000年11月28日に行われたものです。オタクの誕生から消滅に至るまでの経緯、そして現在の日本における若者の文化の状況について、話は思わぬところまで展開していきます。それではどうぞ、ごゆっくりお楽しみください。【編】 ●オタクの誕生● ――まずはオタクについて、オタクはどのようにして誕生したのかというところから伺いたいんですが。 それじゃあ、僕も大好きだったSFを例にして説明しましょうか。 かつてのSF同好会は、カウンター・カルチャー的な色彩を強く持っていました。そこでは、<未来><社会の終焉>といったイメージが比較的想像しやすかった時代を背景として、オルタナティヴイメージの交換が行われていたんです。 でも、70年代後半に入る頃に
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