「珈琲」の当て字を考案した幕末の津山藩医、宇田川榕菴(うだがわ・うあん)(1798~1846年)の命日の22日、墓所がある津山市西寺町の泰安寺などを巡る「城西まち歩き」が開かれ、参加した市民らが墓前にコーヒーを供え、お参りをした。 榕菴は蘭学者で「珈琲」の当て字のほか「酸素」や「元素」など化学用語を考案。薬学書も出版するなどし、近代化学の生みの親とされる。まち歩きは、地元の偉人を顕彰しようと、情報発信施設「城西浪漫館」(同市田町)が開いた。同市や周辺地域から25人が参加し、榕菴の墓前に一人ずつ花や線香を供えた。その後、カップに注がれたコーヒーを代表者が供え、全員で手を合わせた。参加者らは当時のコーヒーを再現した「榕菴珈琲」も味わった。 鏡野町の会社員、青柳章一さん(56)は「こんな身近な所にお墓があったとは知らなかった。『これからも、おいしい珈琲を飲ませてもらいます』と言って手を合わせまし