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東北太平洋沖地震に関するaegis09のブックマーク (38)

  • 2012年版エネルギー白書、発行

    11月16日付で発表された、2012年版エネルギー白書。翌年にHTML版が展開されるので、それをベースに色々と記事展開をする予定(今回で3年目)......なんだけど。今年は去年以上に震災周りの言及が多くて、さらに妙な政治色が感じられたりして「HTML版が出てもまとめられる素材はどれだけ......」という雰囲気。昨年も似たような動きはあったし。 いっそのこと、震災周りのエネルギー関連は、別の白書として作った方がいい気がする。継続性という点では去年以上に劣化している感は否めないし。いや、それで良いのだ、ってのなら仕方ないけどね。

    2012年版エネルギー白書、発行
  • 環境省が推進するがれき広域処理の意味――前編:大量のがれき - はてなブックマークニュース

    こんにちは。はてなブックマークニュースはこのたび、環境省の広報業務をお手伝いすることにしました。記事のテーマは東日大震災の被災地で発生したがれきの広域処理です。記事は、前編と後編の2で構成します。この前編では、被災地のがれき広域処理の現況と、その必要性を取材をもとにまとめます。取材と執筆は、ジャーナリストの津田大介さん(@tsuda)です。(編集部) (※この記事は環境省の提供によるPR記事です) 「みんなの力でがれき処理」――。環境省は、東日大震災で発生した宮城県、岩手県の災害廃棄物(がれき)の広域処理を推進している。広域処理とは、被災地で発生したがれきを、被災地以外の場所で処理すること。あわせて環境省は、テレビや、新聞、ネットで大々的に、この広域処理についての広報キャンペーンをしている(記事もそのキャンペーンの一環として取材・執筆されている)。 テレビCMは環境省の広域処理情報

    環境省が推進するがれき広域処理の意味――前編:大量のがれき - はてなブックマークニュース
  • 時論公論 「がれき受け入れ"拒否"の理由」 | 時論公論 | 解説委員室ブログ:NHK

    【リード】 ニュース解説「時論公論」です。 難航していた震災がれきの「広域処理」がようやく動き出しました。国が新たな対策を打ち出したことで受け入れを表明する自治体が増え始めたのです。しかし問題はこれからです。市長や議会が決断しても地元住民との話し合いはこれからで、特に最終処分場周辺の住民の抵抗感は小さくないと見られるからです。今夜は、苦悩の末「受け入れ反対」を表明した地域の実情を見て、どうしたら乗り越えられるのかを考えます。 被災地ではがれきの処理が計画より大幅に遅れていて、広域処理の対象になる岩手・宮城では処理が済んだのはわずか6.8%にとどまっています。広域処理は新たな財政支援が示されたことなどで、ようやく受け入れや、受け入れの検討を表明した自治体が増え始め、NHKのまとめで70を超え、先月末の2倍になっています。 しかし実際に受け入れが進むかどうかのカギは、焼却した灰を埋め立てる

    aegis09
    aegis09 2012/03/24
    "説明会では遠くからやってきた反原発や政治活動のグループが、知事の説明や質疑応答に野次や怒号を浴びせ、地元の人たちが止めてもおさまりませんでした"
  • 【更新】震災がれき専用コンテナUM8A

    被災地のがれきを受け入れている東京では、今後、清掃工場に直接運んでがれきの焼却処理が行われることから、こうした清掃工場に運び込みやすいように、通常より小さいサイズのがれき専用のコンテナが作られました。 このがれき専用のコンテナは、被災地からがれきを運ぶ運送会社や東京都、JR貨物が協力して作ったもので、長さおよそ3メートル70センチで、通常のコンテナの半分ほどの大きさが特徴です。東京では今後、23区と多摩地域の自治体が被災地のがれきを受け入れ、一般家庭のごみを処理している清掃工場で焼却処理する方針で、新しいコンテナは、こうした清掃工場にも運び込みやすいようごみ収集車とほぼ同じ大きさにしたということです。コンテナの後ろにある排出用の扉には、がれきが飛び散らないよう、隙間をビニールで覆う工夫もされています。 これはうっかりしててチェックを逃してしまった......ということで、慌てて覚え書き。動

    【更新】震災がれき専用コンテナUM8A
  • 被災地で自衛隊がアメリカ海兵隊に後れを取った理由 美談だけで済ませてはいけない「震災と自衛隊」 | JBpress (ジェイビープレス)

    自衛隊との連携は概ね大成功であり、今後発動されるであろうアジア太平洋地域における人道支援・災害救助(HA/DR活動)における日米共同作戦が順調に実施できることを確信している(注:HA=Humanitarian Assistance、DR=Disaster Relief)。 自衛隊は大活躍したと思う。とりわけ、震災津波被災地への10万名の緊急動員に対処した折木統幕長のリーダーシップは極めて優れていた。 また原発事故対処でも、聞くところによると初期対応に逡巡していた政府を説得して果敢にヘリコプターを出動させた決断は見事で、彼こそナショナルヒーローとして高く評価されたのだろう?」 東日大震災救援のために自衛隊と実施した共同作戦であるトモダチ作戦に指揮下の第31海兵遠征隊をはじめとする諸部隊を投入したアメリカ海兵隊太平洋海兵隊司令官ティーセン(Thiessen)中将は、このようにトモダチ作戦を

    被災地で自衛隊がアメリカ海兵隊に後れを取った理由 美談だけで済ませてはいけない「震災と自衛隊」 | JBpress (ジェイビープレス)
    aegis09
    aegis09 2012/03/15
    ここらへんの「戦訓」は政治的にフィードバックされてるんでしょうかね…。
  • 発信箱:大震災: ヒーローはいらない=永山悦子(科学環境部) - 毎日jp(毎日新聞)

    「ガソリンを準備しろ!」 東日大震災発生後、宮城県石巻市内の病院を支援のため訪れた医師が発した言葉という。先月開かれた災害医療の学会で、その病院の医師が発表したエピソードだ。 「支援者」たちの要求は、これだけではなかった。事、宿泊場所、薬品……。自らも被災した病院職員の負担を減らすための当直勤務の応援は不人気で、「現場に行きたい」という要望が殺到。中でも人気は「がれきがある現場」。それらの調整で、支援を受けた病院の職員が逆に疲弊してしまう結果を招いた。 東北の被災地には、地震直後から医療関係者が続々と支援に入った。当然、わがままな人は一握りであり、準備以上の活動で被災者の健康を守った医師たちは多い。発表も「支援者がいてくれるだけで力になった」という感謝の言葉で締めくくられた。 一般に支援者は、「被災者のために活動したい」という強い思いに突き動かされて被災地に入る。その思いは大切だ。だが

  • 第2回 実は“2つの津波”が重なっていた:日経ビジネスオンライン

    2011年3月11日、日の東北地方沖で発生したマグニチュード9の巨大地震による津波は、宮城県、岩手県、福島県の3県を中心に、東北地方、関東地方の太平洋岸に大きな被害をもたらした。場所によっては波高10メートル以上、遡上高40メートル以上を記録したというから、想像を絶する破格の津波だったといえる。 では、それはどのようにして引き起こされたのだろうか。 基中の基として……津波の原因となりうるものには、3つ代表的なものがあるそうだ。 「地震と火山と地滑りがよくある津波の原因です。津波は英語でもtsunamiと言いますが、もともとサイスミック・シー・ウェイブ(地震による海の波)だったんですね。1946年のアリューシャン地震のときに、ハワイが被害を受けました。その時の議論で、同じような波が、地滑りや火山噴火でも起きるのに、サイスミック(地震性)というのはどうか、というのがありまして。そこで日系

    第2回 実は“2つの津波”が重なっていた:日経ビジネスオンライン
    aegis09
    aegis09 2012/02/29
    ”信濃川が1年かけて海に注ぎ込む水の、30倍以上の水が一気に押し寄せたことになる”
  • 日本の道路交通システムに世界が注目高速の安全と渋滞緩和、環境にも貢献[道路](万年野党事務局) @gendai_biz

    現代ビジネスプレミアム会員になれば、 過去の記事がすべて読み放題! 無料1ヶ月お試しキャンペーン実施中

    日本の道路交通システムに世界が注目高速の安全と渋滞緩和、環境にも貢献[道路](万年野党事務局) @gendai_biz
    aegis09
    aegis09 2012/02/28
    いつの間に、こんな未来に着ていたんだろう
  • 【東日本大震災】自衛隊・米軍の災害出動【まとめのまとめ】

    まとめ ヒゲ大尉の自衛隊災害派遣体制概論 災害支援活動立案の専門家@Cpthigeさんによる自衛隊災害派遣の概況と問題点。 2011年2月15日にまとめたのですが、その後、3月11日に東日大震災が発生した事を考えると、感慨深いまとめとなりました。 13168 pv 82 3 users まとめ 自衛隊・米軍の災害出動のニュースに接して( #futenma ) 自衛隊や米軍が活躍すると、くさしたくなる人は一定いるようですが、振りかざす論理が破綻しまくり。 「米軍は地震兵器で東日大震災を引き起こし、その直後に救援に駆け付けた」 数千メートルの海底の、そのまた下のプレートに水爆を仕掛ける技術なんて、誰が持っているのか? 6321 pv 53 1 user まとめ 在日米軍の災害出動状況【東日大震災】 厚木を拠点とする米軍第14対潜ヘリ飛行隊所属のSH-60ヘリ2機が、海老名市から託された米

    【東日本大震災】自衛隊・米軍の災害出動【まとめのまとめ】
  • 東北関東大震災その17  ~ドクターヘリでもDMAT~ - 青森県ドクターヘリ スタッフブログ

    震災関係はいったん最終回としましたが、備忘録も兼ねて記事にしました。 そのため、時系列が順序通りになっていません。 震災1日目、八戸 DMAT は岩手県大船戸へ出動した。 八戸ERは92名受診、47名入院。うち救急車38台。 震災2日目、域外へドクターヘリ搬送。 八戸 ER は181名受診、18名入院。うち救急車25台。 震災3日目、新たな八戸 DMAT が津波で診療所も流された岩手県野田村へ出動。 ドクターヘリは十和田市の産後出血と田子町の脳卒中に出動した後、岩手県へドクターヘリ DMAT 出動。 八戸 ER は101名受診、27名入院。うち救急車28台。 さらに宮古へドクターヘリ DMAT 出動。 震災4日目、月曜日。 沿岸部の避難所でドクターヘリ要請あり、搬送中に心停止。心タンポナーデに対して、ヘリ内で心嚢穿刺。 月曜夜の当直はいつも私。歩いてくる患者が多数。 そして震災5日目の朝に

  • 東北関東大震災その16  ~八戸DMAT 海保ヘリで広域搬送 その2~ - 青森県ドクターヘリ スタッフブログ

    ■後続隊 1機目の搬出後、残り6名の状態を把握していると「次が来ます」との連絡。 もう搬出患者は決めてある、患者も落ち着いている。準備は万端だ。 甲板で待ち受けたスーパーピューマの着船は、もの凄い音と風。 身体を固定していないと飛ばされそうなダウンウォッシュ。 ふと脇の岸壁を見ると、自衛隊員が作業の手を止め、背中を向けて立っていた。 8時58分、着船。 そして9時20分、瞬く間に4名の患者を乗せ、派手なダウンウォッシュとともに離陸。 さらに3機目の S-76 は、9時32分着船。 この素晴らしい手際は、やはりトッキュー隊長の手腕だろうか。 二人の高齢女性患者を載せ、9時40分過ぎに離陸した。 ・・・・・・・・ Bell212 は、順調なフライトを続けていた。 患者の呼吸が早くなったが、冷汗はなく脈の強さも変わらない。血圧も良い。 どうやら、怯えているようだ。無理もない。様子をみることにした

    aegis09
    aegis09 2012/02/27
    ”緊消隊の◯、◎、△県隊、全共波を傍受しているか?原発で内圧上昇あり、放射線被害の恐れ。至急撤退して避難せよ”
  • 東北関東大震災その15  ~八戸DMAT 海保ヘリで広域搬送 その1~ - 青森県ドクターヘリ スタッフブログ

    ■ヘリコプターで広域搬送 3月20日、震災10日目。 初日50名、昨日200名の250名を30km 圏外へ搬出した。目標400人まであと少し。 日は、残った重症者をヘリコプターで広域搬送するという。 われわれのmissionは、南相馬病院から新潟市民病院へ重症患者8名を空輸すること。 集合場所の相馬港は津波被害が大きく、やっと前日に大きな漂流物や沈没物を取り除いたばかりらしい。 朝5時半起床、6時に出発。 辛うじて30km 圏外の相馬港に向けて、カーナビに沿ってドクターカーを進める。 港に近寄ると、異様な光景が広がっていた。 巨大な巡視船が、かろうじて残っていた倉庫の骨組みの向こうに見えた。 凸凹に波打ち、亀裂だらけのコンクリートの上に、積荷だった砂利が撒かれている。 約束の7時半、海上保安庁の新型巡視船 いず に到着。 阪神大震災の教訓から計画され、わずか2年で建造された「災害対応型」

  • 東北関東大震災その14  ~福島への DMAT 出動 その5~ - 青森県ドクターヘリ スタッフブログ

    ■トラブルを乗り越えて 最終的に、198名の患者に放射線サーベイとmedical check を行い、搬送を完遂した。 事前の情報では歩行可能な「緑タッグ」のはずだったが、実際は殆どが歩行困難だった。 このうち、あらかじめ決めておいた13,000cpm を超える線量は検出されなかった。 南相馬病院から自衛隊救急車で来た57名は、新潟消防学校に49名を搬出した。 残った8名は重症度が高いと判断し、防災ヘリ使用を予定したが悪天候に阻まれた。 medical check で状態が悪いと判断した患者1名を SCU へ収容し、安定化させた。 この患者と防災ヘリ利用を計画した患者、合計9名は計画していた時間に搬出できず、 行先を福島医大に変更し、一部は自衛隊の英断で自衛隊救急車を使わせて頂いた。 大町病院から、機動隊の護送バス5台と救急車1台で校庭に入ってきた計62名は、 民間バス3台と救急車1台に載

  • 東北関東大震災その13  ~福島への DMAT 出動 その4~ - 青森県ドクターヘリ スタッフブログ

    校庭には次々に車両が乗り入れ、すでに複雑さも規模も、前日とは比較にならない。 みな目の前の作業で精一杯、全体を把握することが難しくなっていた。 トラブルは、こんなときに襲ってくる。 ■栃木行きのトラブル 小野田病院から到着した3台のバスは、30名ずつ自治医大と栃木リハビリテーションセンター体育館に振り分けて搬出、とされていた。 だが、体育館とは避難所だろうか?そうだとすれば軽症を選ぶべきだろう。 が、バスの中で、初めてみる高齢患者の中から軽症を選別するのは困難を極めた。 問題が起きたのは、このとき。 3台とも、付添い家族は自治医大行きと思っていた。リハビリセンター体育館という目的地も知らない。 病院関係者に聞くと「自治医大の隣にリハビリセンターがある。だから同じ場所だ」 私は DMAT部に電話して確かめた。 「自治医大とリハビリセンターは隣同士か?」「ちがう」 「自治医大に全員運んでいい

  • 東北関東大震災その12  ~福島への DMAT 出動 その3~ - 青森県ドクターヘリ スタッフブログ

    ■サーベイ、トリアージ開始 3月19日の朝、指示通り7時半に福島県庁に集合した。 日の活動拠点は川俣高校の校庭と決まっていた。メンバーは6隊、やはり統括は八戸。 8時に県庁を出発して、6台が編隊を組んで進む。9時には川俣町に到着。 自衛官から日の missionの責任者として、伊藤、松田一尉が出迎えてくれた。 福島県警の職員とも一緒に、立ち話で簡単に自己紹介を済ませ校庭に降りた。 川俣高校校庭は広く、体育館がありトイレもあり、水も出る。 砂土であることを除けば便利が良い、ここを搬送作戦の設営場所と決めた。 砂土の校庭を後で測定したら、地面は5,000cpm。飯舘の20,000cpm よりはマシだ。 ただ飯舘ではアスファルト上の作業だったが、川俣は風で舞い上がる砂土。 ■押し寄せる患者は200名 DMAT隊、自衛隊、県警のみなが集まったところで、mission を確認する。 30km 圏

  • 東北関東大震災その11  ~福島への DMAT 出動 その2~ - 青森県ドクターヘリ スタッフブログ

    (震災8日目、福島原発の周囲から患者を避難させるmissionにDMAT出動) ■500名の患者に対応 3月18日、震災8日目の昼下がり。 福島県庁の隣、自治会館の3階が福島県災害対策部だった。 東京電力の会見場となっている廊下を抜けて階段を上がると、参集場所の4階会議室。 入り口の看板は「福島県緊急被ばく医療調整部兼DMAT 福島県調整部」 色とりどりのユニフォームが動く室内で、国立災害医療センター近藤医師が待っていた。 この時点で、募集20隊に対して参集わずか6隊。八戸 DMAT 隊は4隊目だという。 挨拶もそこそこに、ブリーフィングが始まる; 「30km 圏内の医療機関に残っている、400~500名の患者を圏外へ出すのが任務。 自衛隊や警察などが患者を搬出して、新潟や喜多方などに運ぶ段取りがついている。 30km圏外のチェックポイントで待機して、患者の放射線量測定を行ってほしい

  • 東北関東大震災その10  ~福島への DMAT 出動 その1~ - 青森県ドクターヘリ スタッフブログ

    ■DMAT 終了宣言 3月17日震災7日目、東北地方への DMAT 出動は終了宣言が出されていた。 今後は内科や精神科の診療が必要になるので、彼らにうまく引き継ぐことが重要だ。 DMAT の必要はなくなったが、医療班などの必要はむしろ高まっている。 日医師会から、津波で亡くなったご遺体の検案に協力できる医師の募集が来た。 八戸救命センターから安部医師が早速応募した。震災には様々な医師の協力が必要だ。 ■出動の迷い 震災7日目の夜は遅い帰宅だった。 院内では圏外の携帯電話に、厚労省医政局 DMAT事務局からメールが着信していた。 件名: DMAT 待機要請について 福島県からDMAT派遣要請がありました。つきましては派遣に応じることの出来るDMATはEMISに待機登録をお願いいたします。 福島第一原発事故のために20~30km 圏の医療継続が困難になり、多数の患者の生命が危機的状況になりま

    aegis09
    aegis09 2012/02/27
    ”留守電を聞きました、出動できます。両親と婚約者にも伝えました”
  • 東北関東大震災その9 ドクターヘリ県内搬送 - 青森県ドクターヘリ スタッフブログ

    震災2日目の3月12日朝を迎えた。 八戸市と周辺の太平洋側では、地震と津波の被害が大きく深刻な状況だった。 震災初日、八戸ER は92名(うち救急車38台)の患者を診療した。 このうち入院になった患者は47名、残り45名は帰宅。 30床ある救命救急センターは、オーバーベッド。つまり予備ベッドに寝てもらう。 救命病棟の43床も満床で、一般病棟の空室を全て一晩で使ってしまった。 しかし病棟看護師も ER 看護師も救命救急センター看護師も、そして放射線技師も検査技師も弱音を吐かなかった。 弱音を吐いたのは医療者ではなく、物流や施設の担当者だった。 問題1:電力が持たない。 大電力を消費する治療は、中止または転院とされた。 問題2:酸素が持たない。 酸素投与の節約と、酸素を止める患者の選別が必要とされた。 また人工呼吸器を外す患者も、家族の同意を得ながら検討が進められた。 しかし、家族がいる避難所

    aegis09
    aegis09 2012/02/27
    ”八戸市立市民病院救命救急センターは、最後の砦。北東北の医療の最終防衛線。ここが敗れれば、岩手県北部から青森県南の太平洋側は総崩れになる”
  • 東北関東大震災その8 ガソリンがなくなる日 - 青森県ドクターヘリ スタッフブログ

    震災当日に盛岡へ向かってドクターカーで出動した八戸 DMAT 隊は、 2日目に大船渡病院で支援活動を行い、3日目の未明に八戸へ帰着した。 震災3日目、青森県ドクターヘリは県内で2回出動後、岩手県へ DMAT として出動。 更にこの夜、ドクターカーで第2陣の DMAT 隊が久慈方面へ出動した。 そして震災4日目の朝。 ラピッドドクターカーのスタンバイ前の午前7時15分。 前日は私が当直する月曜日、急患で盛り上がったまま朝を迎えた。 相変わらず余震が来る。 ドクターヘリ通信司令室のテレビを、同じく当直の光銭医師と見ていた。 すると、ドクターヘリ通信司令室で常に傍受している消防無線から気になる通信が聞こえてきた。 「場所は八戸○○、意識がない男性。救急○○出動、ドクターカー同時要請する」 私は CS 室を出てすぐの ER で、八戸消防への直通ホットラインの受話器を取った。 呼び出し音を聞く間もな

  • 東北関東大震災その5  米国からの支援 - 青森県ドクターヘリ スタッフブログ

    八戸市立市民病院には、多く外国人が受診します。 その理由は、キリストの墓の存在ではありません。 三沢米軍基地がそばにあるからです。 米軍基地病院には、集中治療室はなく、CTもありません。 だから、たびたび八戸市立市民病院救命救急センターに患者が運ばれてきます。 この震災の間もそうです。 発災の翌日でした。 病院は電力停止と酸素停止におびえているときでした。 CT撮影を米軍に依頼されたのです。 八戸市立市民病院救命救急センターでは、電力節約に努めていましたが、CT検査はフル稼働です。ここでCT撮影しないと、100km先の青森県病まで患者を送ることになります。その中間の病院では、停電でCT室は使えません。この地域では当センターのみ、自家発電で、CT室を動かしています。 赤坂医師が電話を受けます。 英語で「受けいれOKです。」 患者は幸い重症ではありませんでした。 患者は米軍基地に帰ります。 帰

    aegis09
    aegis09 2012/02/27
    トモダチ作戦の断片 ”自家発電用の重油があと数日です。いまのところ、重油確保の目途が立ちません。米軍からぜひ重油のおすそ分けをいただけませんか”