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戦後史に関するaegis09のブックマーク (8)

  • 鈴木邦男をぶっとばせ! 日本的〈美学〉があったね、昔は

    学生時代は、「いい敵」がいた。全共闘だ。我々、右翼学生は少数派だから、いつも全共闘に論破され、殴られ、ボコボコにされていた。でも、卑劣なことはしなかった。例え、乱闘になっても、堂々と闘った。「弱い者いじめ」はしなかった。僕ら右翼学生は巨大な敵・全共闘と毎日、闘っていた。全共闘だって僕らのことを「弱い者」と思わない。「弱い者いじめ」ではない。「敵」として正当に認め、全力で潰しに来た。 もう40年も昔だ。今となっては、懐かしい思い出だ。清々しい闘いだった。だから今、会っても、「やあやあ」「懐かしいね」と会うことが出来る。40年前の良き時代の、「いい敵」とは今、話し合えるし、左右を超えて、同じ〈時代〉を闘った「戦友」のような気がする。 ただ同じ新左翼でも「内ゲバ」で殺し合いをやっていた人間たちは、いくら年月が過ぎても、再会し、話し合うことも出来ない。むしろ僕の方が、左翼の人達と広く付き合える。

  • asahi.com(朝日新聞社):靖国戦犯合祀、国が主導 地方の神社から先行 - 社会

    印刷  戦争犯罪に問われた軍人らの靖国神社への合祀(ごうし)について、旧厚生省が日の独立回復翌年の1953年に、公的援護制度の拡充などに応じて順を追って無理なく進める、との方針を決めていたことが同省の内部資料でわかった。方針に沿って、先に地方の護国神社での合祀を目指すとの記述もあり、朝日新聞が調べたところ、6カ所でA級戦犯3人を含む先行合祀の記録が残っていた。  天皇や閣僚の参拝や、戦争責任をめぐる議論を起こしてきたA級戦犯合祀の原点となる方針が、独立回復に際して政府内で練られていたことになる。  政府は従来、国会答弁などで、戦犯合祀は「靖国の判断」とし、宗教行為である合祀には関与しておらず、政教分離を定めた憲法に反しないとの姿勢を強調してきた。だが、今回の文書で、終戦までと同様、政府が合祀という靖国の根幹領域に立ち入って方針を定め、戦犯合祀の環境をつくり上げたことがわかった。 続きは朝

  • YouTube - Broadcast Yourself

    aegis09
    aegis09 2007/11/21
    エロは人を呼ぶ
  • CIAと岸信介 - 池田信夫 blog

    NYタイムズで20年以上、CIAを取材してきた専門記者が、膨大な資料と関係者の証言をもとに、その歴史を描いたもの。全体として、CIAが莫大な資金とエネルギーをつぎ込みながら、肝心のオペレーションではほとんど失敗してきた(最新の例がイラク戦争)ことが明らかにされている。日についての記述は少ないが、第12章では、終戦後CIAがどうやって日を冷戦の前線基地に仕立てていったかが明らかにされている。CIAの武器は、巨額のカネだった。彼らが日で雇ったエージェントのうち、もっとも大きな働きをしたのは、岸信介と児玉誉士夫だった。児玉は中国の闇市場で稀少金属の取引を行い、1.75億ドルの財産をもっていた。米軍は、児玉の闇ネットワークを通じて大量のタングステンを調達し、1280万ドル以上を支払った。 しかし児玉は、情報提供者としては役に立たなかった。この点で主要な役割を果たしたのは、岸だった。彼はグル

  • 岸信介の影 - 池田信夫 blog

    安倍首相には、いつも祖父、岸信介の影がつきまとう。安倍氏のいう「戦後レジームからの脱却」も、占領軍に押しつけられた憲法を改正しようという岸の路線への回帰だと思われるが、ここにはパラドックスがある。戦後レジームをつくったのは、他ならぬ岸だからである。 岸のキャリアを決定的に決めたのは、満州国である。彼は1936年に、国務院実業部総務司長として満州国に赴任し、東条英機や松岡洋右などとともに、国家統制のもとに重化学工業を中心とするコンツェルンをつくって工業化を進めた。このときの計画経済的な手法の成功体験が、のちの国家総動員法にも生かされる。 岸が思想的にもっとも強い影響を受けたのは、北一輝の国家社会主義であり、「私有財産制には疑問を持っていた」とみずから語っている。彼の建設した満州国の「五族協和」の思想も、大川周明の大アジア主義の影響であり、これが大東亜共栄圏の思想的骨格となった。要するに、

  • CIAが「統治」した戦後の日本 - 池田信夫 blog

    9/4の記事で紹介した「CIAと岸信介」の話を今週の週刊文春が追いかけている。日も、ブログがマスメディアの情報源になる時代が来たのだろうか。 岸がCIAのエージェントだったのではないかという話は、当ブログでも書いたように、昔からあり、アメリカの公文書公開審査に立ち会ったマイケル・シャラーの『日米関係とは何だったのか』(pp.219-220)にも少しだけふれられている。シャラーは週刊文春の取材に対して、CIAの未公開文書に「1958年にアイゼンハワー大統領の命令で、自民党の選挙資金として1回について20万〜30万ドルの現金が何度もCIAから岸に提供された」と書かれていた、と証言している(当時の30万ドルは、当時の為替レートで約1億円、現在では10億円ぐらい)。 岸だけでなく、佐藤栄作も1957年と58年にCIAから同様の資金提供を受けたという。その後も、4代の大統領のもとで少なくとも1

  • Amazon.co.jp: 「日米関係」とは何だったのか: 占領期から冷戦終結後まで: マイケルシャラー (著), Schaller,Michael (原名), 洋一,市川 (翻訳): 本

    Amazon.co.jp: 「日米関係」とは何だったのか: 占領期から冷戦終結後まで: マイケルシャラー (著), Schaller,Michael (原名), 洋一,市川 (翻訳): 本
  • 日本テレビとCIA 発掘された「正力ファイル」

    日本テレビとCIA 発掘された「正力ファイル」
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