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はてなキーワード: ルイ16世とは

2014-12-14

若者投票に行けという奴は歴史を知らないバカ

若者投票に行っても意味が無い。

若者がするべきは政治家殺害だ。

世界のの歴史は以下の繰り返しだ。

1.何か一つのグループ政党王政幕府)が権力を持つ

2.権力だんだん大きくなっていく

3.不満の溜まった権力を持ってない側が、権力を持っている側に武力を行使する(うまくいけば革命

わかり易い例はフランス革命だ。

最終的にルイ16世は処刑された。


若者投票に行っても、無力感を募らせるだけで何も変わらない。

それだったら政治家の一人でも殺害した方がいい。

歴史的に見ても、武力行使以外に何かが変わった例はない。


一番まずいのは、下手に投票に行くことで「若者でも投票政治を変えられる」といった間違った認識を植え付けられることだ。

若者がするべきは武力行使、すなわち政治家殺害以外にない。

2014-08-09

ルイ16世無能だったか劉禅は暗愚だったか今川義元はかませだったか

誰かしらの前座に必ずこういうピエロを据えるのは伝統的だったのだろうか。

ルイ16世貧困時、小麦やパンの価格レートを下げたりして、少なくとも国民を労わってた。

ロベスピエール失策を見れば明らかだった。その点ルイ16世錠前作りの達人程度にしか見て来なかった同国の元大統領サルコジなんかは真性の阿呆だと思った。

また塔に幽閉して、処刑の前日までにはシャルル皇太子近親相姦を行ったという根も葉もない虚構記事で不当裁判を起こした時、

母親マリー・アントワネットが否定した時の声明は様々な子を持つ母親共感を抱かれたという。

これを見るとマリー・アントワネット悪女だったというのも後世の作り話だろう。

劉禅は暗愚だったか?暗愚なら50年以上も国は続かなかったと思う。

よく人の意見を容れていたから、国は安定していた。どっかの軍事馬鹿が年々国費を費やさなければ100年は安定してたはずである

今川義元信長の野望プレイしたり歴史書を読めば大体の人が信長が起つための典型的かませ役だったのは明らかだ。

東海の弓取りという異名もあったし、三河を安寧させた政治手腕も高く評価されている。それなのに酷い所は麻呂だから泣ける。

しろ狡猾だったのは信長と後に同盟した松平元康こと徳川家康とか武田信玄とかだと言える。

この三名は後世の人達勝手に色付けした結果であって、事実ではない。

かのかませ犬としてのみ異彩を放っていたのは皮肉なのかどうか。

2011-08-05

女の子はみんな夢見るマリーアントワネット

女の子って柄でも歳でもなくなってしまったけど、

女の子はみんな夢見るマリーアントワネット」って話聞くと違和感をもつ。

小さい頃は確かにドレスに憧れたけど、読書をしないことやダンス演劇に興じるって理解できなかった。

「錠前作りばかりに興じて、重度の真性包茎で不細工でのろま」とバカにされてもルイ16世の方が理解できた。


ルイ16世か王妃マリーアントワネットに生まれ変わらなければなりません。しか歴史は変えられません。」

っていわれたらルイ16世を選ぶ。

例え、王権についた時点からルイ14世からつづく財政困難と戦争への莫大な出費を減らそうと努力しても実らなかろうと、

婚前に当時の不衛生な手術に耐えて王妃に無事「初夜」を迎えさせても愛されることなく、非難の的となる浪費をやめさせようともしても無駄としても、

そして折角もうけた子どもが幸薄い人生と分かっていても、

本を読む楽しさと自ら当時の高級なガジェットを作り出す喜びは、着飾る喜びと比べて色あせることがないと思う。

2008-06-18

anond:20080618053247に関して

Ust見たし、Ust賛成派の増田から一言。

葬式とか通夜で故人の死に顔の写メ取る人」がいたら、

もし自分が被害を受けたり、被害を受けた人の恋人だったり友達だったり親だったり子だったりしたら、そんな好奇の(あえて好奇って書くけど間違ってないだろ)レンズに晒されたら、耐えられない。犯人憎しは当たり前だけど、下手するとのうのうとしてる撮影してる連中の方に、より強い害意を向けるかもしれない

っていう人がいるから、気をつけたほうがいいよ、とか、やめたほうがいいよ、とは言うかもしれない。あるいは、事件被害者やその関係者に無神経に取材するマスコミを見ると、やりすぎだなあと思うし、なるべくならそういった人たちの感情を逆なでしないように取材するべきだと思う。けれども、「取材するな!」とは思わないし、どれほどマナー良く、あるいはお上品に取材したところで、マスコミとそれを享受している俺は所詮下種な野次馬だろうとも思う。

でもいい。

そこで何があったか知りたいから。それもなるべく余すことなく。知るべきことと知るべきでないことが区別できるなんて思わないから。

もちろん、事件被害者やその関係者の人が「不快だから止めてほしい」と言い出す気持ち自体は理解するし、それは一定程度汲んだほうがいいだろう((あと、故人の意志とかも汲むべきだね))。不幸の総量はなるべく減らしたほうがいいから。でも本質的には見たい。ああ、別にグロ画像見たいってんじゃなくてね。そんなに寄らなくていいです。

逆に「不謹慎だろ!」って思う人に聞きたいのだけれど、ひとが死ぬような状況を記録するのは、賞を取るような報道写真や、歴史的絵画でもやはり不謹慎なのだろうか?例えば長尾靖の撮った浅沼稲次郎社会党委員長刺殺事件の写真は?あるいは処刑されたルイ16世を描いた絵画は?歴史的人物なら尊厳は冒されてもいいの?公人に尊厳はないの?それっておかしくね?それともこれらの写真/絵画はなるべくなら見られないほうがいいし、本当は記録されるべきではなかったの?

結局、報道主体がマスメディアであれ、個人であれ、プライバシー権としての肖像権のあり方あたりがその方法の折り合いの付け所になるんじゃないかと思う。日本写真家協会はこんな感じにまとめている。

表現行為が社会の正当な関心事であること、その表現内容、表現方法が不当でないこと、の二つの要件が整うときは、無断で撮影したり、写真を利用しても肖像権の侵害にはならないというのである。

http://www.jps.gr.jp/pub/report/127/127_30-31.pdf

なにが「正当な関心事」かは大いにもめそうだけれど、苦しむ被害者の大写しなどが「表現方法として不当」というのはコンセンサスを得られるだろうと思うし、そこで最低限の人の尊厳を守ることは可能なんじゃないだろうか。

まあ、取り繕ってもお前は下劣な野次馬野郎だ、といわれれば、その通りですとしか言いようがないんだけどね。

2007-05-24

anond:20070523182853

まあほら、ローマ時代からそうだし、ルイ16世革命広場で公開処刑だし、なんでもエンターテイメント

考えてたら鬱になってきた

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