はてなキーワード: ピーコとは
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艶やかな紅色の裏地が目を引く黒のロングコートに、トレードマークの黄色みがかったレンズのメガネ。買い物かごをさげたピーコ(78才)は、あてどもなくゆっくりと店内の商品を見て回る。ただし手に取るのはいつも決まっていて、瓶のウイスキーと、つまみにするでき合いの総菜だ。セルフレジの前で立ち止まると、慣れた手つきで袋詰めを済ませ悠然と店を後にした。何の変哲もない日常風景のように見えるが、その背景には現在の日本が抱える社会問題が隠れていた──。
美輪明宏は、おすぎとピーコを厳しく批判しているのだが、それは彼らの「私たちなんて」「しょせんオカマよっ!」的な自虐スタンスが許せないからだ。
同性愛者が同性愛者と言うことで自死を強いられてきた場面を見てきた美輪にとって、自虐と言う姿勢は後に続く者たちが道化として生きていくことを強いているのも同然、であるようだ。
私自身は反フェミニズムと言うか、「男女平等論者(非女権論者)」であるが、私から見てさえ、女性への視線がルサンチマンに満ちているマンガ「バグマン」では、自らのキャリアのためには何もせずに男に仕えて家事にいそしむ若い女こそが、キャリア志向の女よりも「賢い女」として描かれている。「バカになれる女が賢いのだ」論だ。
属性的なマイノリティは、「バカになること」で、個人的な軋轢を軽減してきたことはあるだろう。松本人志の言う、「笑いに変えた方が賢い」と言う対処法だ。
乙武氏の自虐も、それと同様の処世術を感じる。乙武氏自身を責める気にはなれないが、続く人たちに「笑い飛ばして対処するべきだ」と言う呪いになっているのは否めない。